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クラッスラ 発根実験中 [うぴガーデニング]

前回は、
https://petamun.blog.so-net.ne.jp/2019-01-25
クラッスラ属 火祭り 

紹介してましたが、2月の一番寒い頃、うちのまま母、遊びに行った先の何処かの庭にあったものを、ちょん切ってきたとの事で、育てろとの指令があり、ほそぼそと発根実験してました。

クラッスラ 発根実験中(冬).JPG
ヨーグルトの小カップに、小粒鹿沼土を満杯入れ、そこに挿して、冬の間、植物育成用LED温室にいれてた。


最近まで、真っ赤のまま痩せるいっぽうで、一回り小さくなって、このまま枯れるのかなぁと思ってたのですが・・

クラッスラ 発根実験中.JPG
2週間ぼと前に外に出して、水をたっぷりと与えてたら、やっと緑かがってきて葉が開き始めました。少し大きくなってる感じです。

たぶん根が付いてきたのだとの予測。"リンゴ火祭り" の可能性あるね。 

あと2ヶ月くらいしたら、プラ鉢に植え替えてみる予定。


PS : カネノナルキは葉から発芽してたのですけど、こちらは無理みたいですかね~?!
https://petamun.blog.so-net.ne.jp/2017-07-14
日陰なので、まだ寒いのかなぁ!!
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マリーゴールド 'すみれ色化' [うぴガーデニング]

栄養不足なのか発芽以降、日増しにすみれ色化していった土壌改善で植えたマリーゴールドですが・・
菫色化 マリーゴールド.JPG
5月15日ついに、完全なるバイオレットカラーです。

水の遣り過ぎで毛細根が枯れはじめているのが原因だとかって聞いたけど、何本か抜いてみたけど、根は少ないもののこの時点では、まだしっかりはしていた。庭中にあって、その全部に水も毎日与えてる現状。

他のものとの大きな違いは土だけ !

マリーゴールド 山土02.JPG
他は腐葉土ですが、これは土砂崩れ現場の土です。

マリーゴールド 山土01.JPG
種飛び対策に鹿沼小粒を表面に少し蒔いてます。この土はおそらく、少しの花崗岩と、多くの石灰岩が風化してできた土だと思う。同じ山土でも、まさ土とは色や粒子が違う感じです。

腐葉土の成分をほぼ含まない、強い酸性雨の影響と、岩石の強いアルカリ成分の影響なんだと思ってるけど、詳細不明です。

mini マリーゴールド.JPG
超薄めた液肥も与えてみたけど、腐葉土のものは、急成長し、でも10cm満たないうちに花をつけ始めてて、大きくならないみたいな~、雑草クラスです(汗;)。 何が原因なんだろう。?

考えられるのは pH だけど、半日以上日陰に植え替えてみたので、しばらく放置プレイで様子見してみる。
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埋設物の件続き [永遠の謎なぞ]

続き

で、そもそも数年前に数枚の汽水域の貝殻が崖面に露出していた事から始まったことでしたけど・・

https://petamun.blog.so-net.ne.jp/2019-04-13
土器らしき壺に関しては、まだはっきりしていませんで、レプリカだとしても土の中から出てきたものだから、経緯を調べないといけないとは思っていたのですが、炭素年代測定に関しても、個人からの依頼は受けていないという事で、安くないのだろうね。

汚職とか関わってるとかね、ついついそっち方向で考えてしまうけどね~。

なので公的機関としか関わっていないのが現実みたいだから、金銭次第で、年代のすり合わせとかもできちゃうのかな~(汗;)
磨製石器時代の砥石.JPG
地区の道作り管理組合というのがあって、たぶんそこが管理しているのだと思うけど、以前の石群に関しても進展がなくて、今もそのままの状態なんですょー。

石器時代の砥石.JPG
それ改めてじっくり観察していたのですが、花崗岩や安山岩か石灰岩が多そうな中、何個か種類が違う古そうな石もあり、風化の仕方、砕け方や不自然な傷や角の削れ方から、旧石器~磨製石器時代から使われてる砥石とかではないかと思いついてまして。古代集落においてあったものですよね、きっと。それがいつのまにやら副葬品にみたいな

https://petamun.blog.so-net.ne.jp/2013-02-05
時代が異なるものが一緒に混同しているという感じもしているので、何世代ものあいだ、古代人の生活の場がそこにあったようにも思えたり

具体的には
2枚貝が汽水期のものだとすると、それは氷河期ですから、崖面には横穴式の住居もあったとの予測も出来なくもないし、土器らしきは、円底でクシ目文様があり、泥釉が施されている感じからして、~弥生期の木の実などを保管していた壺か、打楽器か副葬品かだとすると、水位も今と然程変わらないから、サザエの殻と一緒に出て来ても不思議ではないとも思うのですが、磨製石器であれば竪穴式住居戸跡か古墳ではないかとの予測も

まぁ、重信川河口を思い出すと、この島でも、面積も高さもそこそこあった時代だから、汽水貝が生息できるスペースはないとは言いきれないです。

また
周辺に小さな祠が沢山あるのは、源平の合戦による平家の落人(へいけのおちうど)だと高齢者からは聞いてるけど、それだとやや辻褄がね?。確証がないのが確証かもしれませんが、土製管や土師器みたいなものも、その方々の持ち物か、追われいる身の上で応急的に作ったものの可能性も否定はできていないのだけど
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%AE%B6%E3%81%AE%E8%90%BD%E4%BA%BA
wik参照

もっとも、貝塚の下には良くあるらしいですから、古代の人骨とかが出土してたとの推測も無くはないので、まだ何とも

貝殻の破片は時々出てきてても、過去にある程度処理されているとすると、貝塚は見つからない事もうなずける分けでして~。

百済の土製管.JPG
本日も一昨日の雨で2枚出てたよ。たぶん土製管ではないかということですが、だとすると

ttps://4travel.jp/travelogue/10828538
↑ こちらに貼り付けられているものと似ている感じなので、そうだとすると半島(百済)から持ち込まれたものって事になるのかね? 京に向かう途中で海賊に襲われて遭難したとかだよね。

国内は、明日香村の飛鳥寺跡から出土した最古の水道管が唯一の例みたいだから史実が変わる? おそれも

全体像を見ない事には、これ以上は進みようもないのですが


で、この地域のお話に戻りますが・・
源平の合戦や南北朝時代や戦国期がメインなのですが、忽那水軍の島である以前に、平家の隠れ里になっていた地区もあるのかも知れないよね。

忽那っていうのは島々が骨をちりばめた様子に似てた事から、8世紀以前に「骨奈」とつけられた名称だと記されているってあったけど、戦の時代を知らない者にとっては、そんな風にはまったく見えない絶景ですし、古代人の人骨や動物の化石でもが、あちこちで発見されていた時代もあるのかなぁ~とは思えてたのよね~

この地で、水軍最強時代を一代で築いた忽那義範さんは、藤原道真さんのひ孫らしいわ。大宰府を拠点に、瀬戸内海の海上交通を支配し、いつか京へ返り咲こうとしていた感あるね。ちなみに藤原氏は、大化の改新の中臣鎌足が源流という事でしたけど、この藤原氏も鎌倉時代には、嫡流が五摂家に分立し、源流は没落している。学問の神としては今も生き続けているけどね。


ネットで調べているうちに、三津の近くにある忽那山というのを発見した。

伊予の国の豪族で最大勢力だった河野氏と支従関係があった頃の陸側の警備拠点なのかもしれません。

この島の海賊衆は藤原系地方土着列ということなので、普通は、屋敷や寺院で、城は築かないはずなのですが、それらが戦国期に築城しはじめ水軍となり武家化しなければならなかった理由もみえはじめてきた。1588年、秀吉の海賊停止令まで続く。

続きはまたいつか
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埋設物の件について [永遠の謎なぞ]

市役所にもチェックはして頂いてるのですが、こちらの謎々コーナーの埋設物の件について、一応、まとめてみます。

まず疑わしきがあった場合には、所轄部署へお知らせして、チェックして頂く必要性があるみたいで、まぁ利権者とか関わってるとメンドクサイ事も少なくないのも現実ですが・・

市としては、概ね江戸時代以前の史跡、歴史的な資料に関しては検討する方針という事でした。今回は歴史が浅そうという事で、もう少し眠らせておこうかという感じでしたけど、現実、個人ではなんも分からんからね~。

重要性のあるものは、文化庁の所管で調査が開始され、一段落できればケースに応じて、国や都道府県が管理するか、市町村(考古館や博物館)、或は発見者か地権者などの個人に帰属されるか、というような事らしいのですが、管理者不在となる場合は、国(市町村)に帰属されるのかな?! 費用の掛かることなので大変です。

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以下はページ改めます。

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